花と猫とわたし

その日の思いと出来事など 花講師 乳癌患者 日記

手術の傷

正直、再発さえしなければ、術後の見た目はどうでもいいって思っていました。

どちらかというと、肩や、わきの筋肉のツッパリ感や、ひきつれるような痛みのほうが

時々、気持ちを沈ませる要因になっています。

 

が、常に痛むわけではないので

ほとんどは、忘れて過ごせてはいます。

 

癌友とラインしてると、自分が気になることは

他の人はあまり気にしていなかったり

他の人が気にしていることを、自分はあまり気にならないんだなっていうことが

わかったりします。

 

術後の傷については、まさにそれで

わたしは、他の人の傷を見たことはないけれども

本来あったものがないだけで、ビジュアル的には

ショッキングな映像だと思う。

 

しかし、みんなの前で裸にはならないので

服を着て、ブラにパットを装着すれば、全然わからないのだから

日常生活には支障はない。

 

傷はある程度の年数がたてば目立たなくなるのではないかと思うので

今は、あまり神経質にならないようにしている。

むしろ、気にしなさ過ぎて、前開きの術後用ブラに、パットや、詰め物を

入れるのをつい忘れそうになるので困ったものです。

 

出先で気が付いて、ハンドタオルをくるくるっと、それらしく丸めて

ブラの中に収めると、ちゃんとしたパットよりも、収まりが良い。

ですが、そうしないであきらかに、左右の高低差が目立ってしまうと

一般の方に、衝撃を与えてしまうので、気を付けなくては.

 

頭髪も生えてきました。

今、野球少年みいたいな感じ。

娘が、もこもこしていて気持ちいい、触らせて・・と言って

頭を触ってきます。

 

抗がん剤も、手術も、放射線も一通り終わりました。

 

女性ホルモンを減らすお薬をこれから5年間のみ続けます。

それを飲む時だけ、「癌」のこと、思い出します。

叔父を見送りました

91歳の母は、母の兄弟の中でも最高齢。

そして、長男から、順に亡くなり

先日ついに、母と最も親しくしていた

わたしも、とてもお世話になった、大好きだった叔父が旅立った。

 

母は、みんなを見送る役目があったのかもしれない。

 

叔父は平坦な人生だったわけではないが

いろいろあったけど、しあわせだったのではないかと思う。

 

最初に亡くなった叔父は、肝臓がんだった。

祖父と同じ病気で、祖父と同じ年齢で亡くなった。

 

その次の叔父は、パーキンソン病

苦学して大学を卒業、叔母が人工透析していたため

校長や教頭を目指す出世はあきらめたと聞いている。

叔母はその後腎臓移植を受け、もう、20年たっている。

 

真面目で、眉目秀麗、叔母も品のある美しい人である。

しかし、従弟の男の子は肉腫で亡くなった。

2番目の叔母の苦しみはいかばかりであったろう・・

 

3番目の叔父は、大腸癌も、脳内大動脈瘤も乗り越えた。

最後は肺気腫だった・・

叔母は明るく気さくな人で、叔父は、この人と結婚して

良かったなと思った。

 

何度、母や、前夫や、娘や、救急車に付き添ったり、

葬儀や、焼き場に行っただろう・・

母が、ぴんぴんしてるので、すっかり忘れていたけど

 

幼い頃、遊んでもらった叔父たちが、みんな逝ってしまった。

 

あんなに男前で、活気に溢れていた叔父が

もう亡くなる前には、終末期の老人になっていた。

 

わたしも、同じだけ年を重ねてきたのだと

改めて、今更のように感じた。

 

従弟の子供たちが、幼い頃の彼らとそっくりで

思わず笑ってしまったけれど

 

従妹たちも、それなりに年を重ねて

いい大人の顔になっていた。

 

命って  時間なんだな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放射線治療16回終了 ひたすら眠い

ようやく、あと9回というところまできました。

わたしは、全摘だからか、4方向照射。

当てる部分に、線を描かれる。

照射する位置がずれないようにするためらしいです。

 

襟が空いてる服だと、その描かれ線が見えちゃうので

「傷?」

って、たまに聞かれるけど、傷はこんなもんじゃぁない。

癌友さんたちも言ってたけど

先生たちは、術後の傷を

「きれいですね」

ってよく言う。

 

術後の傷を毎日見てる先生たちには、そうなのかもな・・

再建はしないって決めてるし、別にいいんだけど

子供には見せたくないなぁと思う。

あの子がショックを受けたらかわいそうなので

お風呂は別々に入るようになった。

 

今通ってる病院は、設備も整ってるし

マンモの機械もすごくいいのを使ってるらしい

わたしは、「えっ?」って思うような、なんだかなぁと思う病院は

いくつか見てきた。

でも、ここは、すごく行き届いていると思う。

 

レントゲン技師さんたちも、看護師さんも、受付の人たちも

嫌な感じの人は一人もいない。

一人や二人、どこでも、そういう人がいても不思議ではないけど

接客業か!?というくらい行き届いている。

 

放射線治療が終わったら、眠気取れるんだろうか?

 

 

プロ意識って何だろう

治療に専念するようになって、ネットショップは放置状態だった。

思い出したように、ぽつりぽつりと注文が入り

その都度、スイッチが入って、発送していたので

特に問題は無かった。

 

手術後、退院するまでは、やる気の、オン、オフは

自分の意志でできたから。

 

ところが、母の日の注文が終わるころ、

(手術して、退院したころ)

 

どうにも、やる気がおこらない・・

1か月後の注文があり、なんでこんなに前から注文されるんだろう?

と思ったが、とりあえず、注文された品物を確認した。

 

薄いブルーのバラが退色し、あじさいが色移りしていた。

今までのわたしなら、バラごと入れ替えたはずである。

ところが、色移りした部分の花びらだけ、付け替えたのである。

その時点では、まだ、時間はたっぷりあったのだが

 

以前のように、集中力がわかず、必要最低限度の処置をした。

そして、発送まで、そのままにしてしまったのだ。

 

結果的に、その品物はキャンセルになった。

当然である。

 

 

 

 

職人気質なほどのこだわりで、作品が作れないなら

ネットショップをやるべきではない。

少なくとも、それだけの気力がわくまでは・・・

そう思って、ショップを閉店状態にしていた。

 

 

あるお客様から「注文したいのですが、無理でしょうか?」

と、お問合せが・・・(気持ちはすごくありがたいし、うれしいのだけど)

 

 

迷惑をかけるくらいなら、断るほうがいいのだが・・

どうする?・・わたし

 

 

 

 

 

水位が半端なくて 治療に行くのも命がけ?

放射線治療が始まって

週に5日病院に通っています。

 

やっと10回終わりました。

あと15回♪

 

ところで、最近の大雨の影響で

こちらは雨が続いて

昨日は特別警報が出ました

 

わたしの住んでるあたりは

大きな川からも、かなり離れいるのと

山からも離れているので

浸水や、土砂崩れの心配はあまりないのですが

 

それでも、バケツをひっくり返したような雨の中

車の運転も怖いですし

 

病院に行く途中、某川を渡るのですが

その川が、氾濫の危険がある警報が出ていたので

放射線治療に行くのを休もうかと思ったくらいです

 

再発しないために、放射線治療を受けに行くのだけれども

そのために流されて死んだらしゃれにならんな・・と思いながら

通行止めになってないからいけるか・・など

 

結果的に、放射線も、リハビリも無事に受けて帰って来れました。

土日が休みで助かった・・

 

被害に遭われた地域の方々に、こころからお見舞い申し上げますとともに

衷心よりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

これ以上被害が広がりませんように

 

 

癌友とランチ

病院の乳癌患者の会の会合があり

理学療法士の先生が「リンパ浮腫」と

それを防ぐ体操を教えてくださった。

ドイツまで渡って学んできた、先生の熱い思いのこもった講義のあと

乳腺のドクターや、看護師、病院のスタッフも交えて

お話会があり、普段の診察では、なかなか聞けないようなことも

先生に質問出来て、とても充実したものになった。

時間が来たのでお開きとなったのだけど

毎回、お顔は見かけるけれど、もうちょっと話が聞きたかったり

仲良くなりたいと思っていた何人かが、病院から出た駐車場で

「〇日、空いてる?」

と声をかけて来てくれた。

 

前から、もっとしゃべりたかったわたしたちは、その場でライン交換。

ライングループ名を患者会の名前にした。

 

先日、イオン〇〇店フードコートで待ち合わせし

落ち着いて話が出来そうなお店でランチしながら

長時間、いろんな話で盛り上がった。

 

先輩方は、もう、10年前に手術をした方もいれば

癌のタイプも人それぞれ。

 

直前に、がん保険を解約した人、契約してからの日数が

ほんの数日足りないばかりに保険金が降りないという人もいれば

かけても、癌でしななければ、無駄になる人もいる。

 

 

最近手術を受けた3人とも、全摘(同じ日に受けた人は部分切除だが)

揃って、全摘リンパ節郭清していた。

 

乳癌に限らず、「癌」と名の付く病気になったものしかわからない

「患者あるある」な話で大いに盛り上がった。

 

「乳癌」と知った時の相手の反応で

相手の気持ちがわかってしまい傷ついた話だとか

誰にどこまで言うべきか、悩む話とか

そのくせ、気遣ってくれるのは、初めのうちだけだとか

そのうち、忘れられ、「もう、いいんじゃない?」と

元気だったころと同じようにできるだろうという目で見られる

 

「保険会社」は癌患者に厳しい

「癌」より「糖尿病」の方が怖い病気ではないか?!

などなど、みんな日ごろたまったうっぷんをこの時とばかりに

吐き出した。

 

先生は良い先生だが、先生自身は癌ではないので

患者の気持ちまではわからない。

その点、患者同士は、まるで「戦友」のような

連帯感が芽生えてしまう。

 

わたしは3a結構な悪性度だ。

それでも、治せると判断の治療を受けられることがありがたいと思うし

ステージ4以上の患者さんに、どんな言葉をかければいいだろう?と

思ってしまう。

同じ病気でも、言葉を選んでしまう。

 

多分、元気な人からみたら、わたしも、きっとそう思われているのだろうけれど。

 

今日も放射線治療に行って一緒に入院していた癌友に会ってきた。

現在進行形で、病気と闘ってる仲間という感覚。

病気のおかげで友達が増えた。

たぶん、一生ものの友達になるだろうと思う。

昨年や、つい最近知り合ったばかりなのに

何十年もの付き合いのような連帯感が漂う。

 

 

有料だから優良というわけではない

今年に入ってから、わたしが治療に専念できるようにと

知人がお父さんが入所されていた優良老人ホームを紹介してくれた。

本当に、よかれと思ってそうしてくださったことは感謝している。

が、彼女のお父様が入所された頃とは、その施設の中身は変貌を遂げていた。

 

そこが素晴らしいかどうかは、そこで働く人の意識で変わる。

母と、数名の利用者を覗けば、「認知症」が進んでいる人がほとんど。

ご家族も、自分の親がどんな扱いを受けいるのか、知る由もない。

 

入所まもなくから、母の施設に対する愚痴の中に

ちらちら見え隠れする、施設の実態があったのだが

「認知がすすんでいるから、そんなことをいうのだろうか」

最初はそう思ってしまった、母には申し訳ないと思う。

 

パワハラで、職員を怒鳴りつけ、ヘルパーや、洗濯係、看護師が

次々に辞めていき、命に係わる医療的な面の引継ぎもないまま

深刻な人手不足を引き起こした、人格的に問題ありの施設長が転勤し

 

食事も、塩辛くて食べられない時もあることや

脂っこくて気分が悪くなるものが出ることもあると聞いて

担当者に伝えても、「そういうことは施設長にいってください」

と、一言のお詫びも無し。

 

代わりに、もっと上の役職の施設長、看護師の統括者がやってきた。

やれやれ、これで、改善される・・と、安心したのもつかの間

やってきたのは、上司に媚びへつらい、家族の前では、親切に装い

利用者だけの時は、非常に権威的で、高圧的、

 

しかも、5月に入って、一度も、母の部屋に看護師が来なくなった。

記録には来たことになっていて、ケアプランにも、ちゃんと書いてあることを

実行されていないどころか、やったことにして、実際はほったらかし。

ケアマネさんが、その時間帯に来て、看護師が来ていないこと

記録には来たことになっていることを確認されているのに・・である。

 

今日は、役所に行ってきた、母の足の装具の返還金の申請に行ったついでに

もっと良い施設を探すためである。

 

話を聞いてくれた窓口の女性が

「そんな話を聞いて行政としてほっとけません」

とまで言われたのですが、

 

もう、自宅に帰るか、施設を変わる決意をしているので

ホームと闘う気はないけど

今後、相手の出方によっては、管轄の役所に実態を恐れながら・・と、訴え出てもいいのかなと思う。

 

有料は、高いだけで、必ずしも、クォリティが高いわけではない。

 

昔、介護福祉士だった頃

出世するのは、上司に媚び媚びする、仲間の足を引っ張る奴らだったこと

思い出した。