花と猫とわたし

その日の思いと出来事など 花講師 乳癌患者 日記

笑える?笑えない?会話

最近も、よく母について通院介助している。

今日は眼科、昨日は整形外科だった。

 

もう御年91歳、いつ、どうなったっておかしくはないが

母の兄弟の中で最も長生きし、

ついに最後の生き残りとなった。

 

先日のドクターと母の会話である。

 

医者 やっぱり、まだ痛いですか?

母  まだ、やっぱり痛いです、治りませんね。

医者 治そうと思ったら、手術しかないですけど

母 怖いです、寝たきりになったらどうしよう?って

医者 僕も怖いです、手術中に心臓泊まったらどうしよう?って

 

数年前の母なら、もう少し筋力もあったし、バイタリティもあったのだが

ここ数年、年ねん気力、体力が落ちてきていて

おそらく、リハビリに耐えられないだろう

 

どちらも、しれっと、こんな会話をして笑っている

正直な先生を憎めないねぇと言っている。

 

帰宅して、娘に話すと

「笑えない」

って言われた。

 

 

この会話で笑えるのは、年取ったってことか。

キャンサーギフト

普段、あまり気にしていない。

夕べだって、娘の美術の課題のポスターや、水彩画を手伝って

寝たのは朝の3時。

考えないようにしているのかもしれないけど

そのことばっかり考える暇がないのだ。

普通なら、体のために早く寝るほうがいいに違いない。

 

やっぱり、同じ病気で有名人が亡くなると

ドキッとする。

人間いつかは死ぬのだ・・それはわかっている。

でも、その日がいつ来るのかだけは、自分で決められない。

ちびまるこちゃんの作者も乳癌だったんだ・・

 

日曜日、2回目の患者会有志のメンバー

今回は伊勢丹のレストラン街の某店舗に集まった。

 

お肉が食べたい人、魚がいい人、オムライス、お寿司

みんなそれぞれお気に入りのメニューを選ぶ。

昨年知り合ったばかりなのに、もう昔からの友人みたいだ。

 

わたしと、もう一人以外は、もう10年近く前に手術を受けたそう。

術後の傷の話になると、みんな

「あまり見ないようにしている」ということで一致した。

 

ランチの後、デザートとお茶のために場所を変えて話し込んだ。

学生の頃と違って、いきなり友達や仲間が増えるなんて経験は

大人になればなるほど減るものだが

 

楽しかった。

メンバーの一人が

「キャンサーギフト」と言った。

 

まだ、癌になって良かったなんて思えないが

きっと、メッセージであり、自分にはそうならないといけない何かがあったんだろう。

 

 

今度は、公式な患者会の日に栄養学的な観点で講義があるらしい。

みんなにまた会えるのが楽しみだ。

 

 

 

 

 

虫退治にバルサン焚いたら

今年の夏、我が家に異変が・・・

どうも、小さな虫が飛んで気持ちが悪い

そこで、火災報知器が反応しないア〇〇ジェットを購入

足でスイッチを踏んで部屋の外に・・・

 

しかし、キッチンにまだ、虫が飛んでいる

まるで我々をバカにするように

スプレーも買って噴射してみたが

「あ、虫」と気づいた瞬間逃げられるのである

 

とうとう、辛抱しきれずに

今度は、水を使って煙を出す「バ〇〇ン」を購入

これは、火災報知器にカバーを取り付けるタイプ

ここでわたしは、ミスを犯した。

 

キッチンの火災報知器は見えたのでしっかり取り付けたのだが

隣の和室にもあったことを、すっかり忘れて

バ〇〇ンを焚いたものだから

 

煙が出始めてわずか数秒

「火事です、火事です」

すると、カバーをしていたはずのキッチンの火災報知器までもが

「隣の部屋が火事です」

 

驚いて降りてきた主人に理由を説明し

火災報知器のスイッチを切り、

和室の火災報知機にカバーを付け

キッチンも再度カバーを付け直し

 

もう一個も、水に浸した。

 

 

かなり効果あり(人間に)

主人からは二度と焚くなと怒られ

娘は咳き込み、わたしも、しばらくゴホゴホしていたが

 

圧倒的に虫は減った(ような気がする)

そう思いたい。

 

多分、ゴミ袋節約する主人が生ごみを出すのを渋るから

と、ひとのせいにしておこう。

 

夏は、ゴミせっせと捨てましょう、すぐに虫が来ます。

手術の傷

正直、再発さえしなければ、術後の見た目はどうでもいいって思っていました。

どちらかというと、肩や、わきの筋肉のツッパリ感や、ひきつれるような痛みのほうが

時々、気持ちを沈ませる要因になっています。

 

が、常に痛むわけではないので

ほとんどは、忘れて過ごせてはいます。

 

癌友とラインしてると、自分が気になることは

他の人はあまり気にしていなかったり

他の人が気にしていることを、自分はあまり気にならないんだなっていうことが

わかったりします。

 

術後の傷については、まさにそれで

わたしは、他の人の傷を見たことはないけれども

本来あったものがないだけで、ビジュアル的には

ショッキングな映像だと思う。

 

しかし、みんなの前で裸にはならないので

服を着て、ブラにパットを装着すれば、全然わからないのだから

日常生活には支障はない。

 

傷はある程度の年数がたてば目立たなくなるのではないかと思うので

今は、あまり神経質にならないようにしている。

むしろ、気にしなさ過ぎて、前開きの術後用ブラに、パットや、詰め物を

入れるのをつい忘れそうになるので困ったものです。

 

出先で気が付いて、ハンドタオルをくるくるっと、それらしく丸めて

ブラの中に収めると、ちゃんとしたパットよりも、収まりが良い。

ですが、そうしないであきらかに、左右の高低差が目立ってしまうと

一般の方に、衝撃を与えてしまうので、気を付けなくては.

 

頭髪も生えてきました。

今、野球少年みいたいな感じ。

娘が、もこもこしていて気持ちいい、触らせて・・と言って

頭を触ってきます。

 

抗がん剤も、手術も、放射線も一通り終わりました。

 

女性ホルモンを減らすお薬をこれから5年間のみ続けます。

それを飲む時だけ、「癌」のこと、思い出します。

叔父を見送りました

91歳の母は、母の兄弟の中でも最高齢。

そして、長男から、順に亡くなり

先日ついに、母と最も親しくしていた

わたしも、とてもお世話になった、大好きだった叔父が旅立った。

 

母は、みんなを見送る役目があったのかもしれない。

 

叔父は平坦な人生だったわけではないが

いろいろあったけど、しあわせだったのではないかと思う。

 

最初に亡くなった叔父は、肝臓がんだった。

祖父と同じ病気で、祖父と同じ年齢で亡くなった。

 

その次の叔父は、パーキンソン病

苦学して大学を卒業、叔母が人工透析していたため

校長や教頭を目指す出世はあきらめたと聞いている。

叔母はその後腎臓移植を受け、もう、20年たっている。

 

真面目で、眉目秀麗、叔母も品のある美しい人である。

しかし、従弟の男の子は肉腫で亡くなった。

2番目の叔母の苦しみはいかばかりであったろう・・

 

3番目の叔父は、大腸癌も、脳内大動脈瘤も乗り越えた。

最後は肺気腫だった・・

叔母は明るく気さくな人で、叔父は、この人と結婚して

良かったなと思った。

 

何度、母や、前夫や、娘や、救急車に付き添ったり、

葬儀や、焼き場に行っただろう・・

母が、ぴんぴんしてるので、すっかり忘れていたけど

 

幼い頃、遊んでもらった叔父たちが、みんな逝ってしまった。

 

あんなに男前で、活気に溢れていた叔父が

もう亡くなる前には、終末期の老人になっていた。

 

わたしも、同じだけ年を重ねてきたのだと

改めて、今更のように感じた。

 

従弟の子供たちが、幼い頃の彼らとそっくりで

思わず笑ってしまったけれど

 

従妹たちも、それなりに年を重ねて

いい大人の顔になっていた。

 

命って  時間なんだな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放射線治療16回終了 ひたすら眠い

ようやく、あと9回というところまできました。

わたしは、全摘だからか、4方向照射。

当てる部分に、線を描かれる。

照射する位置がずれないようにするためらしいです。

 

襟が空いてる服だと、その描かれ線が見えちゃうので

「傷?」

って、たまに聞かれるけど、傷はこんなもんじゃぁない。

癌友さんたちも言ってたけど

先生たちは、術後の傷を

「きれいですね」

ってよく言う。

 

術後の傷を毎日見てる先生たちには、そうなのかもな・・

再建はしないって決めてるし、別にいいんだけど

子供には見せたくないなぁと思う。

あの子がショックを受けたらかわいそうなので

お風呂は別々に入るようになった。

 

今通ってる病院は、設備も整ってるし

マンモの機械もすごくいいのを使ってるらしい

わたしは、「えっ?」って思うような、なんだかなぁと思う病院は

いくつか見てきた。

でも、ここは、すごく行き届いていると思う。

 

レントゲン技師さんたちも、看護師さんも、受付の人たちも

嫌な感じの人は一人もいない。

一人や二人、どこでも、そういう人がいても不思議ではないけど

接客業か!?というくらい行き届いている。

 

放射線治療が終わったら、眠気取れるんだろうか?

 

 

プロ意識って何だろう

治療に専念するようになって、ネットショップは放置状態だった。

思い出したように、ぽつりぽつりと注文が入り

その都度、スイッチが入って、発送していたので

特に問題は無かった。

 

手術後、退院するまでは、やる気の、オン、オフは

自分の意志でできたから。

 

ところが、母の日の注文が終わるころ、

(手術して、退院したころ)

 

どうにも、やる気がおこらない・・

1か月後の注文があり、なんでこんなに前から注文されるんだろう?

と思ったが、とりあえず、注文された品物を確認した。

 

薄いブルーのバラが退色し、あじさいが色移りしていた。

今までのわたしなら、バラごと入れ替えたはずである。

ところが、色移りした部分の花びらだけ、付け替えたのである。

その時点では、まだ、時間はたっぷりあったのだが

 

以前のように、集中力がわかず、必要最低限度の処置をした。

そして、発送まで、そのままにしてしまったのだ。

 

結果的に、その品物はキャンセルになった。

当然である。

 

 

 

 

職人気質なほどのこだわりで、作品が作れないなら

ネットショップをやるべきではない。

少なくとも、それだけの気力がわくまでは・・・

そう思って、ショップを閉店状態にしていた。

 

 

あるお客様から「注文したいのですが、無理でしょうか?」

と、お問合せが・・・(気持ちはすごくありがたいし、うれしいのだけど)

 

 

迷惑をかけるくらいなら、断るほうがいいのだが・・

どうする?・・わたし